「大気中の二酸化炭素(CO2)を、空気から直接抜き取る工場」。少しSFじみたこの技術が、いま現実のビジネスとして動き始めています。その名はDAC(Direct Air Capture、直接空気回収)。私はこの技術を追い始めた当初、「空気からCO2を吸う」という発想自体に半信半疑でした。しかし2026年に入り、状況は確実に変わりつつあります。世界最大のDAC工場の稼働延期、最大顧客による購入削減報道、そしてEUの新たな市場創設案。良いニュースも悪いニュースも入り混じる中で、市場は着実に育っています。本記事では、2026年8月時点のDAC最前線を、最新ニュースと具体的な数字で解説します。
DACとは何か——「空気からCO2を抜く」技術の仕組み
DACは、工場の煙突から出る排ガスを対象にする「CCS(CO2回収・貯留)」とは異なり、大気中にすでに漂っているCO2を直接回収する技術です。濃度はわずか0.04%程度。極めて薄いガスを効率よく取り出すため、技術的なハードルは排ガス回収より格段に高いのが特徴です。
液体吸収方式——化学反応で溶かし込む
代表的な方式のひとつが液体吸収方式です。水酸化カリウムなどのアルカリ溶液に空気を通し、CO2を化学反応で溶液に溶かし込みます。その後、高温の熱を加えてCO2だけを分離し、純度の高いCO2ガスとして取り出します。回収したCO2は地下深くに圧入して貯留するか、化学品や燃料の原料として再利用されます。
固体吸着方式——吸着材の温度スイングで取り出す
もうひとつが固体吸着方式です。ゼオライトやアミン系の吸着材に空気を接触させてCO2を吸着させ、その後、温度を上げてCO2を放出します。加熱と冷却を繰り返す「温度スイング」が基本原理で、エネルギー効率の改善が進められています。日本のスタートアップが採用する方式も、この系統です。
どちらの方式でも最大の課題はコストとエネルギーです。大気中の薄いCO2を濃縮するには大量の熱と電力が必要になるため、回収コストは現在、1トンあたり数百ドルから1,000ドル超とされています。業界の目標は、1トンあたり100ドルへの引き下げです。このコストが下がるかどうかが、普及のカギを握っています。
世界最大のDAC工場「STRATOS」——稼働は2027年へ、それでも前進は続く
DAC市場の象徴的存在が、米オキシデンタル(Occidental)の子会社1PointFiveがテキサス州エクター郡で建設中の「STRATOS」です。設計上の回収能力は年間50万トンで、世界最大のDAC施設として注目を集めてきました。回収したCO2は、地下1,500メートルを超える塩水層へ圧入されます。米環境保護庁(EPA)のクラスVI許可は、2025年4月に取得済みです。
しかし、2026年8月6日の決算説明会で、オキシデンタルは稼働開始が2027年にずれ込むとの見通しを示しました。全体試運転は2026年末から始める計画です。延期の原因は、コア技術ではなくユーティリティ設備など非プロセス系部品の遅れだと説明されています。総事業費は12億ドル規模(約1,900億円)に拡大しており、商業化の難しさを物語っています。
それでも、買い手はすでに並んでいます。マイクロソフトは6年・50万トンの契約、アマゾンは10年契約を結び、日本のANAや日本郵船もクレジット購入を表明しています。稼働延期の影響は一部の契約にも及びますが、需要そのものは依然として旺盛です。
【比較表】主要DACプロジェクトを比べてみた
現在のDAC市場を支える主要プロジェクトを比較してみましょう。稼働中の施設と建設中の施設の規模感が、一目で分かります。
| プロジェクト | 運営 | 場所 | 回収能力 | 状況 |
|---|---|---|---|---|
| STRATOS | 1PointFive(米) | 米テキサス州 | 年間50万トン | 建設中、2027年稼働予定 |
| Mammoth | Climeworks(スイス) | アイスランド | 年間3.6万トン | 稼働中(現役最大) |
| Orca | Climeworks(スイス) | アイスランド | 年間4,000トン | 稼働中(初の商用機) |
| 農業CCU実証 | プラネットセイバーズ(日本) | 福井県 | 実証規模 | 2026年3月に開始 |
現役最大のMammothでも年間3.6万トン。STRATOSの約14分の1の規模です。それだけ、世界最大施設のインパクトは大きいといえます。
「Microsoftショック」の真相——最大顧客の購買調整が示した構造変化
2026年のDAC市場で最も話題になったのが、最大の買い手であるマイクロソフトの動きです。2026年4月10日、米メディアが「マイクロソフトが炭素除去クレジットの購買を一時停止すると取引先に通知した」と報じました。マイクロソフトは恒久的なCO2除去クレジットの累計購買量の約78.5%を1社で占める「市場の大黒柱」だったため、業界には衝撃が走りました。
ただし、その後の展開を追うと、実態は「撤退」ではなく「ペース調整」でした。5月にはデンマークのBioCircとBECCS(バイオマス発電とCO2回収の組み合わせ)最大65万トン・7年の新規契約を締結し、6月にはインドのAlt Carbonと強化風化のクレジット約3.7万トンを契約。プログラム自体は継続されました。
そして2026年8月13日、Bloombergはマイクロソフトが炭素除去クレジットの購入を約80%削減する方向だと報じました。AIデータセンターへの投資優先が背景にあるとされ、同社の2025年の排出量はデータセンター拡大により25%増加しています。DACにとっては厳しい逆風ですが、この「一極集中からの脱却」が、次の章で見る市場の底堅さにつながっているのです。
市場は縮んでいない——買い手の多様化と49%成長
マイクロソフト依存が露呈した四半期に、市場はむしろ記録を更新しました。2026年第1四半期の恒久除去クレジット契約量は約230万トンで、第1四半期としては過去最大。第2四半期も約300万トンに達しています。しかも、新規契約に占めるマイクロソフト以外の比率は、2四半期連続で約57%。買い手の顔ぶれが一気に多層化したのです。
具体例を挙げると、ストックホルム市が地元企業からBECCSクレジット75万トン・15年を契約(第2四半期最大の単一案件)、JPMorganやTDバンク、RBCといった金融機関が続々と購入に参入。航空・通信大手のBoeingやLufthansaも名を連ねます。市場調査会社の推計では、DACの世界市場は2025年の11.9億ドルから2026年に17.7億ドルへ拡大し、成長率は年率49.4%に達する見込みです。
さらに2026年6月には、北米で初めて「認証済み」のDACクレジットが実際に買い手へ納入されました。これまでDACは「将来の約束」で取引されることが大半でしたが、実物の引き渡しが始まったことで、業界は「約束」から「実績」の時代へ移行しつつあります。
EUが作る「法律由来の需要」——2.5億トンの公的購入枠
市場を下支えする大きな動きが、欧州にあります。2026年7月、欧州委員会はEU排出量取引制度(EU ETS)の改正案を公表し、恒久的なCO2除去に対して2.5億トン規模の公的な購入枠を設ける設計を示しました。これは、企業の自主的な公約ではなく、法律が作り出す需要です。
この提案が実現すれば、DACを含むCO2除去市場に巨額の公的資金が流れ込みます。アナリストの間では、数百億ユーロ規模の市場が形成されるとの見方もあります。需要の「根拠」が善意から法律へ変わることで、投資家やスタートアップにとって予測可能な市場になる点が重要です。スイスのClimeworksも、コンプライアンス市場向けの事業シフトを進めています。
米国の政策後退と「企業・議会主導」の逆転構造
一方、米国では政府の後退が鮮明です。2026年1月にはパリ協定からの再脱退が決定的となり、連邦レベルでの気候政策は縮小傾向にあります。8月11日には政府監査院(GAO)が、DACの主要な補助金制度である「45Q税額控除」の審査遅延や監視の欠陥を報告しました。8月13日にはシェブロンがカリフォルニア州の連邦CDRプロジェクトから撤退する動きも報じられています。
興味深いのは、政府が引いても市場が動き続けていることです。超党派の議員らは8月上旬、連邦政府がCDRクレジットを直接買い取る法案を再提出しました。「政府が主導しないなら、議会と企業がやる」という構図ができつつあります。まさに逆転構造です。
日本の挑戦——東大発スタートアップと邦銀の動き
日本からも注目すべきプレーヤーが登場しています。東京大学関連のインキュベーションから生まれたプラネットセイバーズは、日本初のDACスタートアップです。ゼオライト系の吸着材を使う独自技術で、CO2と水を同時に回収できるのが特徴。2026年3月には関西電力と連携し、福井県のトマト栽培ハウスでCO2を農作物の成長に活用する「農業CCU」実証を開始しました。
海外展開も視野に入っています。日本経済新聞によれば、プラネットセイバーズは2027年にオーストラリアへ進出し、現地企業と協業する方針です。また、金融分野では三井住友銀行がカナダのCO2除去スタートアップDeep Skyへ邦銀として初の戦略出資を実施。NTTデータはスイスのClimeworksと提携し、データセンターのCO2排出を2030年までに実質ゼロにする計画を進めています。日本企業の関与は、着実に広がりつつあります。DACの商用化が本格化すれば、日本の高精度なものづくりと長年の地質調査の知見が、大きな強みになる可能性があります。日本の存在感は、今後さらに増していくでしょう。
DACのこれから——100ドル/トンへの道と残された課題
DACの普及を左右する最大の変数は、やはりコストです。業界目標の1トン100ドルは、現状の回収コストの数分の一に相当します。実現の鍵を握るのが、大規模化によるスケールメリットと、再生可能エネルギー由来の安価な電力の確保です。データセンターのAI需要が電力を圧迫する中で、エネルギー調達は今後ますます重要なテーマになります。
もうひとつの課題は、貯留先の確保です。CO2を地下に圧入するには地質学的な調査と許可が必要で、地域ごとの規制対応も求められます。それでも、AI時代に入って「排出量を減らしきれない産業」の存在が明確になったことで、DACの役割はむしろ拡大しています。8月12日には、GoogleやMcKinsey、Tencentが合計63万トンのCDRクレジットを契約したとの報道もあり、需要の新しい担い手が次々と現れています。
【FAQ】DACに関するよくある質問
ここでは、DACについて読者の皆さんからよく寄せられる質問をまとめました。
| 質問 | 回答 |
|---|---|
| DACとCCSの違いは何ですか? | CCSは工場や発電所の排ガスからCO2を回収します。DACは大気中から直接回収する点が異なります。 |
| 回収したCO2はどうするのですか? | 地下の塩水層などに圧入して貯留するか、化学品や燃料、農業利用などの原料として活用します。 |
| DACはいつ実用化されるのですか? | 小規模な商用機はすでに稼働中です。世界最大のSTRATOSは2027年の稼働を予定しています。 |
| コストはどれくらいかかりますか? | 現在は1トンあたり数百ドル以上です。業界は1トン100ドルを目標に技術開発を進めています。 |
| 日本企業も参入していますか? | プラネットセイバーズやNTTデータ、三井住友銀行などが参入・連携を進めています。 |
まとめ——「最後の切り札」はどこへ向かうのか
2026年のDAC市場は、稼働延期や購買削減といった逆風と、EUの市場創設や買い手の多様化といった追い風が交錯する一年です。私が特に面白いと感じたのは、一見「撤退」に見えたマイクロソフトの動きが、実は市場の一極集中を解消する契機になっている点でした。空気からCO2を抜き取る技術は、まだ夢物語の域を出ません。しかし、実物のクレジットが納入され、法律が需要を作り始めた今、世界はようやく第一歩を踏み出したところです。
脱炭素テクノロジーの最前線は、毎月大きく動いています。今後のDACの進展を、ぜひチェックしてみてください。この記事をきっかけに、気候テクノロジーのウォッチを始めましょう。


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