2026年10月30日午前10時(英国時間)、ロンドンの王座裁判所でひとつの判決が言い渡されました。英高等法院の王座部(Divisional Court)は、メタ・プラットフォームズ(およびWhatsApp)、X、TikTokの3社が起こした司法審査の申立てを退けました。争われたのは、英情報通信庁(Ofcom)が2026年2月10日に出した情報提供通知の適法性です。判決番号は[2026] EWHC 2779 (Admin)。2023年オンライン安全法の下で、Ofcomの情報収集権限が司法の場で試された最初の事例になりました。
この裁判を「SNSの表現の自由を巡る闘い」と読むと、ポイントを外します。争点はもっと地味で、しかし厄介です。有害コンテンツの「量」をどう測るのか。誰が、どの数字を、どの定義で数えるのか。規制の実効性は、実はこの測定の設計に懸かっています。
10月30日、ロンドンの法廷で何が決まったのか
まず手続きを整理します。対象になったのは、Ofcomが2026年2月10日に発した情報提供通知です。根拠はオンライン安全法(Online Safety Act 2023)第100条。同条は、Ofcomがオンライン安全に関する職務を遂行するために「必要とする情報」を、規制対象のサービス提供者に求めることを認めています。通知はメタ、WhatsApp、X、TikTokのほか、他の事業者にも出されました。
3社は通知の取り消しを求めて司法審査を申し立て、法院は3件を併合して審理しました。口頭審理は10月5日、6日、9日の3日間。判決は10月30日に下されています。判断は「rolled-up」方式、つまり本案の審理と申立ての許否を同時に扱う形で行われました。
結論として、法院は5つの論点のうち4つについて「合理的な争いの余地がない」として許可を却下しました。比例性だけは審理を許可したうえで、棄却しています。結果は全面敗訴です。3社は判決に従い、指定されたデータをOfcomに提出する義務を負うことになりました。
ここで見落とされがちな事実をひとつ。この通知は2025年11月にも一度出され、その後撤回されています。TikTokが同年12月5日に異議を申し立てたことをきっかけに、Ofcomは通知を出した職員に適切な委任権限がなかったことを認め、通知を引き上げました。権限を付与したうえで、2026年2月に再発行した経緯があります。規制当局の側にも手続き上の綻びがあったわけです。
Ofcomが求めた4種類の数字
では、何を出せと言われたのか。通知の内容は、大きく4つの塊に分かれます。第一が年齢層別を含む利用者アクティビティの総量。第二が、モデレーションの対象になったコンテンツとアカウントの量。第三が、措置の対象になったコンテンツに晒された利用者の数(子どもを含む)。第四が、異議申立ての件数・結果・所要時間と、英国の利用者から寄せられた通報の量および結果です。
特徴的なのは、対象期間が過去に遡っている点です。提出は3つのトランシェに分かれ、第1トランシェは2024年1月1日から2025年12月31日までの2年分。つまり「規制が始まる前のデータを、今から集めて出せ」という要求でした。第2トランシェは2026年上半期、第3トランシェは2026年下半期です。
| トランシェ | 対象期間 | 提出期限 |
|---|---|---|
| 第1 | 2024年1月1日〜2025年12月31日 | 2026年6月15日 |
| 第2 | 2026年1月〜6月 | 2026年9月22日 |
| 第3 | 2026年7月〜12月 | 2027年3月25日 |
遡及が効くという点が、この事件の性格をよく表しています。将来の運用を監視するのではなく、過去2年分の実績を掘り起こさせる。事業者にとっては、当時のログや集計定義をいまさら再構成する作業になります。Xが「英国の規制当局から受けた中で最も重い情報要求で、数百万ポンドかかる」と主張したのは、この遡及部分の重さが背景にあります。
プラットフォーム側の主張——「前例のない負担」
3社の主張は、おおむね次の5点に集約されます。第一に、オンライン安全法には「透明性レジーム」という別の制度があり、大規模な「カテゴリー化サービス」に情報提供と公表を義務づけている。Ofcomが第100条を使って同じ情報を求めるのは、この制度を迂回する越権だという主張です。
第二に、第100条が言う「必要とする情報」に当たらない。第三に、2003年通信法第7条が課す影響評価の義務を果たしていない。第四に、TikTokだけの主張として、決定をした人物に予断があった。第五に、第100条4項の比例性要件と欧州人権条約に反する、というものです。
比例性の主張を支えるため、3社は「この要求は異常な負担だ」とする証言を裁判所に提出しました。ところが判決文は、この証言について手厳しい評価を下します。申立人の証言には「比例性の検討が求めるものに十分に食い込んだ中身が欠けている」というのです。負担の総量と、代替手段がなぜ劣るのかを数量的に示さない限り、裁判所は天秤を動かせません。
判決の論理——比例性の立証責任は誰にあるのか
法院の判断を順に追います。第一の論点について、法院は透明性レジームと情報提供通知は「目的が異なる」と整理しました。前者は情報の公表のための制度であり、後者はOfcom自身が職務に使うための情報です。公表を前提にできない情報も含まれるため、制度が重なるとも言えません。
第二の論点では、Ofcomが通知の時点で具体的な「特定の任務」を思い描いている必要はない、と判断しました。条文の文言は「非常に広い」もので、Ofcomは必要な範囲で法的な目的を特定していたからです。第三の影響評価については、個別の第100条決定は「重要な提案」に当たらないというOfcomの判断が不合理ではない、とされました。
第四の予断の主張は退けられました。判決文は、こうした主張を扱う際には「文脈を切り離す罠と、過度な猜疑の罠」を避ける必要があると述べています。そして第五の比例性へ。ここが判決の読みどころです。
裁判所は、比例性はOfcomが決定時に見ていた証拠ではなく、裁判所に出された証拠に基づいて自ら判断する問題だと確認しました。そのうえで、申立人の証拠は天秤を反対側に傾ける力を持たないと結論づけています。「負担が大きい」という主張だけでは足りない——ここに、この判決の実務的な意味があります。
そもそも「何人に見られたか」は測れるのか
ここからが本題です。Ofcomが求めた4種類の数字のうち、最初の3つはまだ数えられます。ところが第三の「有害コンテンツに晒された利用者の数」は、原理的に厄介です。理由は3つあります。
第一に、有害かどうかは文脈に依存します。同じ投稿でも、受け手の年齢、直前の閲覧履歴、同じ画面に並ぶ他の投稿によって意味が変わります。投稿単体に「有害」というラベルが貼られているわけではありません。
第二に、表示ログと審査結果の突き合わせが要ります。表示の記録(インプレッション)は大量にあっても、その投稿が後から削除対象と判定された場合、削除時点から過去に遡って「誰がいつ見たか」を再構成しなければならない。ログの保持期間や定義が変わっていれば、そこから先は復元できません。
第三に、検知件数は検知能力の関数だという逆説があります。モデレーションを強化すればするほど、措置件数は増えます。同じサービスでも、努力した年ほど「有害コンテンツが多い」という数字になる。指標が努力の方向と逆行してしまうわけです。
この難しさを、Ofcom自身が公式文書で認めています。2026年の「子どもに有害なコンテンツに関する報告書」には、こう書かれています。Ofcomが6つの大規模サービス提供者に求めたデータは「モデレーション処理の結果に関するものであり、検知され措置されたコンテンツのみを捉えている。したがって有害コンテンツの発生率を直接示すものではない」。さらに、事業者の内部カテゴリには有害コンテンツ以外も混ざり得るため、その数字を「有害コンテンツの量」と読むことはできないとも注記しています。
私の見るところ、この事件の面白さはここにあります。規制当局が欲しいのは「社会にどれだけ害が漏れているか」という数字で、プラットフォームが持っているのは「どれだけ処理したか」という数字です。測っている対象が、最初からずれている。だからこそOfcomは、事業者データとは別に、自分で人を数える仕組みを作る必要がありました。
Ofcomは自分で秤を作った——4つの調査装置
Ofcomは事業者からデータを吸い上げる一方で、並行して独自の調査基盤を育てています。中心にあるのが3つの追跡調査と、1本の大規模個別調査です。設計の違いを見ると、何を測ろうとしているのかが透けて見えます。
| 調査名 | 対象 | 規模・頻度 | 測るもの |
|---|---|---|---|
| OET(オンライン経験追跡調査) | 18歳以上の英国の利用者 | 年2回・7,000人超 | 有害事象に遭った経験、サービスへの態度 |
| COST(子どものオンライン安全追跡調査) | 子ども | 年複数回 | 有害コンテンツへの接触と情動的反応 |
| CPOM(子どもの受動的オンライン測定) | 子どもの端末利用 | 受動測定 | 実際の閲覧行動と滞在時間 |
| オンラインコミュニケーション調査 | 11〜17歳 | 2026年2〜3月・4,097人 | 接触の経路、被害、加害の実態 |
ここに、測定を設計する者の宿題が表れています。OETは2025年の第8波から対象年齢を13歳以上から18歳以上へ変えました。子どもはCOSTという別の調査に移しています。ところがOfcom自身が、両者の手法が違うため「子どもの所見は直接比較できず、2つの追跡調査をまたいだトレンドは作れない」と明記しています。秤を途中で替えたら、長期の比較はできなくなった。規制の効果を測るはずの装置が、効果測定の連続性を失った瞬間です。
9カ月動かなかった数字——規制は効いたのか
では、その秤で何が測れたのか。子ども安全義務が発効した2025年7月25日から9カ月後の2026年3〜4月、11〜17歳の13%が過去4週間にポルノコンテンツに接触したと答えました。49%がヘイトコンテンツ、26%が有害物質に関するコンテンツに接触しています。Ofcomの整理では、いずれも義務発効前から「有意な変化は見られない」という結果でした。
一方で、動いた数字もあります。2026年7月時点で、英国で人気の高いポルノサイトの多くが年齢確認を実装しました。8〜14歳のうち8%が月に1回ポルノサービスを訪れていますが、その半分は年齢確認のあるサービスだけ。訪問全体の3分の2は10秒未満で終わっています。入口の30%は検索エンジン経由です。
生成AI検索の実験も行われました。12歳の利用者を想定したプロンプトで各カテゴリ100件のクエリを投げたところ、ヘイト系で0.2%、有害物質系で2.2%が子どもに有害なコンテンツを返しました。グロ系の検索では、クリックの3分の1が有害コンテンツを置くサイトへ向かっています。
ここから読み取れるのは、削除は進んでも経路は残るという構図です。フィードの推薦と検索という2つの入口が生きている限り、投稿の削除件数をいくら積み上げても接触率は下がりません。逆に言えば、Ofcomが欲しがっている「晒された人数」のデータこそが、削除件数より政策判断に直結する情報だということになります。
制裁金の記録——実際にいくら払われたのか
オンライン安全法の制裁金は、最大1,800万ポンドまたは世界売上高の10%のうち高い方とされています。英国の売上ではなく世界全体を基準にするところが、域外の事業者にとって重い設計です。2026年9月18日時点で、Ofcomが公表した確認決定は11件。個別の事例を見ると、金額の相場観がつかめます。
| 事業者 | 制裁金 | 主な理由 |
|---|---|---|
| 自殺討論フォーラムの運営者 | 95万ポンド | 自殺を助長する違法コンテンツの防止義務違反 |
| 8579 LLC | 135万ポンド+日額1,000ポンド | 年齢確認の未実装 |
| Kick Online Entertainment | 80万ポンド+3万ポンド | 年齢確認の未実装、情報提供要求への不応 |
| Xgroovyの運営者 | 70万ポンド+3万ポンド+日額200ポンド | 年齢確認の未実装、情報提供要求への不応 |
| Youngtek Solutions | 60万ポンド | 年齢確認の未実装、情報提供要求への不応 |
| 4chan | 52万ポンド | 年齢確認、違法コンテンツのリスク評価、利用規約の不備 |
| First Time Videos | 8万ポンド | 年齢確認の未実装 |
興味深いのは、情報提供要求に応じないこと自体が独立した制裁事由になっている点です。Xgroovyには日額200ポンドの加算が課され、期限は2026年11月3日と設定されました。支払わない事業者も存在します。OfcomはAVS Group Ltdと、ある自殺討論フォーラムの運営者について、制裁金が未納であることを公表しています。
4chanの事例は象徴的です。同社の弁護士は制裁金の要求に対して、AIで生成したハムスターの画像で応じ、米国では適法だと主張しました。規制の実効性は、金額の大きさだけでなく、回収できるかどうかに懸かっていることが分かります。
次の争点は「いくら払うか」——メタの別訴訟
今回の判決はOfcomの追い風ですが、決着したのは「情報を出すか出さないか」の話だけです。より大きな争いが別に控えています。メタは2026年10月初旬、Ofcomが手数料と制裁金を算定する方法そのものを不服として、別の司法審査を起こしました。算定根拠が不合理で違法だという主張です。
通信社の報道では、この件の判決のほうが「より重要になる可能性がある」と指摘されています。情報を出させることができても、その情報をもとに科す金額の設計が覆れば、規制の実効性は大きく揺らぐからです。Ofcomはメタとの係争がInstagramの調査を遅らせることはないと表明しています。
同じ10月には、英国の規制の別の側面も動きました。10月29日、Ofcomは16歳未満のSNS利用禁止に向けた年齢確認の評価を公表し、写真付きIDの照合、銀行口座による確認、デジタルID、顔の年齢推定という4方式を「高い実効性」を持つ手段として示しました。禁止は2027年春の施行を予定し、政府は年末までに規則を整える見通しです。16〜17歳のうち約15万人がパスポートも運転免許も持たないとされ、本人確認の手段がない層が取り残される懸念も示されています。
日本では「入口」の議論ばかりが進む
日本の議論と並べると、論点の置き方がよく分かります。総務省の作業部会は「一律の年齢制限は望ましくない」という考え方を示しました。こども家庭庁の作業部会が7月にまとめた中間整理報告書では、一定年齢未満のSNS利用を制限する法的制度の是非について「政府において引き続き議論」と書き込まれています。携帯電話事業者に課された購入時の青少年確認義務は、現行の履行率が88%とされています。
日本の論点は、ほぼ「入口」に集中しています。年齢をどう確認するか、一律に禁止するか、保護者にどう説明するか。英国が10月30日に決着させたのは、その先にある「出口」の話です。規制をかけたあと、有害コンテンツに触れる子どもが減ったのかどうかを、どんな数字で確認するのか。入口と出口はセットでなければ機能しません。年齢確認だけを整えても、接触率を測る手段がなければ、政策の当否は検証できないままになります。
私が気にしているのは、測定の定義を誰が決めるかという点です。英国では今回、裁判所が「事業者の主張には中身がない」として当局側の要求を認めました。裏を返せば、事業者が十分な反証データを用意していれば、結論は変わり得たということです。数字の定義を巡る交渉は、今後も法廷と調査設計の現場で繰り返されます。
【FAQ】英国のSNS規制とデータ提供を巡る疑問
ここまでの内容について、よく聞かれる点を整理しました。制度の全体像をつかむ補助として使ってください。
| 質問 | 回答 |
|---|---|
| 今回の判決でSNS各社は何を提出するのですか? | 年齢層別の利用状況、モデレーション対象となったコンテンツとアカウントの量、措置対象コンテンツに晒された利用者数、異議申立てと通報の件数・結果・所要時間です。対象期間は2024年1月まで遡ります。 |
| なぜ表現の自由の裁判ではないのですか? | 問われたのは情報提供通知の適法性であり、コンテンツの削除命令ではありません。法院が扱ったのは越権、条文解釈、影響評価、予断、比例性の5点でした。 |
| 応じないとどうなりますか? | 通知違反は犯罪とされ、制裁金の対象になります。「当時対応することが合理的に実行可能でなく、その後あらゆる合理的な措置を取った」場合に限り抗弁が認められます。 |
| 「晒された人数」は誰が数えるのですか? | 事業者が提出する推計と、Ofcomが独自に行う追跡調査の両方が使われます。Ofcom自身、事業者データは検知・措置済みの分しか映さないと注記しています。 |
| 日本の事業者にも及びますか? | オンライン安全法は事業者の所在地ではなくサービスと英国のつながりで対象を決めます。英国の利用者が相当数いる場合や英国が対象市場になっている場合、制裁金の算定基礎は世界売上高です。 |
| 制裁金は実際に支払われているのですか? | 多くは支払われていますが、未納の事業者も公表されています。情報提供要求への不応には日額の加算が課される例があります。 |
まとめ——規制の実効性は「測る技術」に宿る
2026年10月30日の判決は、SNS各社にデータ提出を義務づけた点で画期的でした。しかし本質的な発見は別のところにあります。規制の成否を分けるのは、罰則の重さではなく、何をどの定義で数えるかという設計だということです。
削除件数は努力の指標としては使えますが、社会に漏れた害の量は示しません。だから当局は自前の調査装置を持ち、事業者にはログの提出を求める。両者を突き合わせて初めて、規制が効いたかどうかが見えてきます。英国が9カ月で「有意な変化なし」という結論を出せたのは、測定の土台があったからです。
日本で同じ議論をするなら、年齢確認の方式を決める前に、効果を測る指標を決めておく必要があります。何を成功とみなすのかを先に決めておかないと、規制は施行後に検証不能になります。英国の判決文と調査報告書は、その設計図として読む価値があります。関心のある方は、Ofcomが公表している子ども向け追跡調査の手法を一度確認してください。数字の作り方が分かると、ニュースの読み方も変わってきます。測定という地味な土台から、ネット規制の議論を始めましょう。

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